ムーンクレスタ

公開:2016-01-10 14:46
更新:2020-02-15 04:37
カテゴリ:ゲーム,ゲーム製作

固定画面シューティングを作るために、往年の名機のプレイ動画を観たりしている。そこから何かアイデアが浮かんでこないかなぁということで。

シューティングゲームはかなりやったほうなんだけど、中学生くらいだったからあまりお小遣いもなくて、そうそうどっぷりとハマるようなことは昔はできなかった。 なのでいろいろなゲームを1-2回プレイして、後は他人のプレイをずーっと観ているというのがいつものパターンだった。 さらに昔は人気があるゲーム機の周りは人だかりができプレイするために順番待ちをしなきゃいけなかった。でようやくプレイできても周りは子供だけじゃなくて大人のギャラリーもいるし緊張して思うようにプレイできない。ギャラリーからは「下手だな」と思われてそうで次にプレーするのに二の足を踏んでしまうことも多かった。ゲームというのは昔は今と比べてもっとオープンなものだったのだ。

このムーンクレスタもドッキングが苦手だったのですぐ死んでしまうから、そう回数多くプレイしたわけではない。が、記憶には残っているゲームである。日本物産という会社にも縁があるしね。

苦手だったけど、当時はこのドッキングというボーナスステージが面白かった。ドッキングすることで連射できるようになり、ひねくれた動きをする敵を一網打尽にできる。そのかわりにあたり判定が大きくなってやられやすくもなるのだが。パワーアップによる爽快感が得られるのがこのシステムだった。当時日本物産はこのゲームとクレイジークライマーでかなり儲けたらしい。

話はムーンクレスタに戻るけど、ウィキペディアを読むと衝撃的な情報が。

アーケードゲーム基板もギャラクシアンの流用であり、星空は全く同じである。

そうだったのか。。当時ドットごとに色付けされていたキャラクターのゲームって少なかったからニチブツやるな..と思ってたけど、基板流用だったとは。。ちょっと残念。ギャラクシアンもニチブツでライセンス生産していたらしいから、その流れかもしれないね。よくあるのは基板作りすぎて売れなくて、その売れない基板をはけるために新たなゲームを作ってROM乗せ換えて売るなんてこともあったと聞く。確かドンキーコングもそうだったような。

ニチブツでその後ハマったゲームといえばテラクレスタだろうか。隠れた名機としては「チューブ・パニック」というのがある。これは拡大縮小可能なスプライトと回転VRAMをおそらく日本で最初に使ったゲームだと思われる。

このゲームはその見た目とは裏腹にセールスはあまり振るわなかったと聞く。内容がいまいちだったからね。私はのちにこの実機をニチブツ社内で見せてもらったことがある。1984年作とは思えないそのグラフィックにこの会社の技術力の高さを感じた。クレイジークライマーもさらっとサンプリング音源を使っていたりするしね。CPUも他社が8ビットの6809やZ-80が主流の時代に68000を使ってたりもしたな。