ゲームの本質とは

公開:2015-07-14 06:01
更新:2020-02-15 04:37
カテゴリ:ゲーム

しかしほんとにゲームをやらなくなったな。。FPSのDOOM3あたりから熱が冷めて、今はほとんどやっていない。子供がよくスマブラやスマフォゲームをやっているし、嫁もパズルゲームにはまりがち。私は子供から勧められて1-2年前にパズドラを少しやってみたけど、2、3回で手を付けなくなってしまった。ネットをダラーっとみているほうが楽しい。今はね。さらにはなぜかTVを観ることも以前より増えているように思う。このTV離れの時代にね。

私はビデオ・ゲームが暇つぶしの道具から、それにほとんどの時間を費やすメインの娯楽に移行するちょうど過渡期の世代に位置すると思う。風船割りからインベーダーゲーム、そして家庭用のゲーム機(日本における家庭用ゲームのはじまりはPongもどきからだと思う)、PC、ファミコンへと発展していく様をずっとみてきた。しばらく業界にもいたので、そこそこ浸かっていた。

たまーにゲームの本質って何だろう?って思う。

ゲームの本質はグラフィックやサウンドではないだろう。そうであれば昔のあの稚拙なグラフィックやサウンドでゲームに熱中できるわけがない。ゲーム会社にいたとき、上司から「ゲーム性」ということばをよく聞いたけれども、「ゲーム性」ってなんぞやと自分に問いかけてみてもいまいちはっきりとは理解できなかった。まあ評価の尺度としては「おもしろいかどうか」に尽きるのだろうとは思うのだけれども。

岩田さんがお亡くなりになってほぼ日の下記コンテンツを読んでいると本質を知りえたような気がして。 http://www.1101.com/nintendo/pikmin3/index.html

それこそ昔の、グラフィックが丸とか三角だけでも 十分、のめり込んで遊べたころの感じで。

 

ぼくらはハードルをいくつか準備して、 あとは遊ぶ人が、自分の超えるハードルを決めて チャレンジしていくのがいいんですよ。

そうだなぁ。ハードルを越えるのって楽しいよね。そういうのっていろいろな場面であるよね。仕事をしていてもそう。今まですごく時間をかけていたものが、ちょっとしたバッチを書くとものすごく短縮できた時とかね。

考えると、昔はハードが貧弱だったから、本質的な楽しさを追求するしかなかった。一通り本質的なものが出尽くしたところで、グラフィック・サウンドなどの装飾が始まったのだよね。それこそ「Pong」なんていうのは、ほぼビープ音しかなかったわけだから。それとモノクロの粗いグラフィックで。Pongに関してはスポーツにおける勝負の楽しさというのをストレートに表現している。テニスを極限にまで簡素化するとああなるのかなと。

ただグラフィックやサウンドも「楽しさ」の一つではあるよね。

結局ゲームの本質ってなんだろう。

http://gigazine.net/news/20120821-sakurai-cedec/

「ゲームの本質はリスクを冒してリターンを得ること」

確かにそうとも言えるなぁ。。

なんかこうゲームの本質を箇条書きにしてまとめたいと思うのだけれども、なんかもやっとしてうまくまとめられないね。