私が過去製作したシューティングゲームを振り返る。

公開:2017-04-05 21:56
更新:2020-02-15 04:37
カテゴリ:シューティングゲーム,コンピュータの歴史,ゲーム製作

私が一番最初に作ったシューティングゲームはおそらくMZ-700のWICSという言語で作った、ミサイルコマンドもどきであったと思う。ツクモのアナログジョイスティックを購入し、その反応の滑らかさを生かしたものを作りたかったのだ。

次に作ろうとしたのが、ゼビウスもどきのシューティングゲームだった。これはある程度までできたが、途中で飽きて放り投げてしまった。

次に作ったのはX1で作った1画面プログラム(80x25の1画面中にプログラムコードを収める)で作った3Dっぽいシューティングゲームである。X1は2Dポリゴンを高速に描画するBASIC命令を持っていたので、それを使って作ったのだ。そのゲームは雑誌に掲載され、いくばくかの賞金を得た。

しかしこのころから、ゲームセンターのゲームの移植版が出回りはじめ、私はもっぱらそれを購入するか借りるかして遊ぶ側に回ってしまった。ゲームを作ること自体あまりしなくなってしまった。

で次にFM77AVのグラフィック能力に惹かれ、購入し、縦スクロールシューティングを作ろうとしたが、スクロールルーチンを作りキャラクターをつくること自体が面倒で挫折してしまった。

この後、それなりにメジャーなゲーム会社に就職し、最初に回転VRAM+縦スクロールのシューティングゲームの開発に加わった。このゲームでは4割くらいのコードを書いた。CPUは6809である。が製品にバグが若干残り、かつ当たり判定が甘く(というか当たり判定のアルゴリズムが稚拙で、当たり判定抜けが発生した)、私にとっては悔いの残る処女作となってしまった。しかし誘導弾の動きが私のお気に入りであった。

次に横+縦スクロールのアクションシューティングの続編の開発に助っ人として参加した。このゲームの開発メンバーは優秀な方たちで、いろいろ勉強させていただいた。そこでいくつかの敵の企画立案、コーディングを行った。このゲームではテスターとして積極的にデバッグも協力した。というよりも単にゲーム自体が面白かったので遊んでいただけだが。

次に別の会社に移り、開発途中の縦スクロールシューティングのプログラマーとして参加した。CPUは68000だった。この会社は企画・デザイン・開発が分業化されており、企画書に従ってコーディングせねばならず、自由に敵を創造し、それをコーディングで実現したい私には苦痛以外の何物でもなかった。

次の次に、イメージファイト、R-TYPE、グラディウス2、飛翔鮫などシューティングゲームが成熟期を迎えようとしていたころ、横スクロールシューティングのメインプログラマーを任された。このゲームでは、いろいろなゲームの良いとこどりを目指した。そしてハードウェアの能力は使えるところは全部使おうとしていろいろなことを試した。企画メンバーとも喧々諤々やりあった。結果、それなりに私のシューティングゲーム作りたい欲を満たすものができたが、品質面ではバグが残ったりして、やっぱり悔いの残るものとなってしまった。

そして私はPCエンジンのゲームのサウンドプログラムをある程度作ったところで、この業界を去ることにした。

まっとうな社会人として再出発し、しばらくは仕事以外でパソコンを触らない日々が続いていたが、DOS/Vパソコンを購入し、DirectX APIが登場したころからまた「シューティングゲーム作りたい欲」が再燃した。そして横スクロールシューティングを作り始めたが、これもまた途中で挫折。さらにその後縦スクロールシューティングにチャレンジしたが、これも挫折。これをあと何回か繰り返して今に至っている。

そういうわけで、私は趣味ではまともにシューティング・ゲームを作り上げたことはない。

今度こそ作ることができるだろうか。。